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今の事業を始めたきっかけを教えてください。
―大学を卒業して、外車の会社に就職して2年目の6月に会社を辞めて、自分がモデルだったというところから、ヘアやファッションだったり、何かできないかという事でまずアプリをつくり始めました。
作りだした当初はiPhoneは出始めたばかり。
アプリもあまりなかったけれど、若い人たちがこういうのをもっと使ってくれればよいなという思いがありました。
ヘアカタログをそのままアプリにしたようなものなど、当時は雑誌の中でしかなかったものだったので、いち早くアプリで取り上げたかったんです。
おしゃれな美容室に行く人たちは、切り抜きとかって持って行きにくいですよね。だから情報を全部まとめてアプリ化しようと。
そのアプリを開発したのがきっかけで、サロンさんや、ユーザーなどを、もっと巻き込めないのか、またそれをもっと多くの人に使ってもらえないかという思いから、今あるポータルサイト「for Space」を作成しました。 ただのポータルサイトを作ってもそういったものはたくさんあるので、変わった見栄えのものを作成したいという思いがありました。だから街並みという仮想空間をつくってインターネットに必要な物販、地図、クーポン、メルマガ、求人などを取り入れたものをつくりました。 一般企業に就職してからすぐに独立しようと考えたのですか?
― 大学の時は元々理系で医療機器の開発という分野の勉強をしていました。
なので、そのままいけば医療機器のシステムエンジニアの道だったと思うのですが、大学3,4年で頑張って開発をしていたら、自分の中ではシステムエンジニアという立場の仕事には満足してしまって、それ以上突き詰めたいという気持ちがなくなってしまったんです。
仕事というのは自分の人生で大事なところだから、もう少し自分の実現したい事は何かを考え直して、色んなところにインターンなどに行った中で経営者って面白いなと思いました。
就活が終わって外車の企業に勤めていたときは、就活もすごく頑張ったから、本当は3年くらいは企業で学ぶつもりでいました。でもやっていたことに対して、この仕事をするのは自分じゃなくても良いのではないか?と毎日思っている自分がいたんです。 始めは、色々やらせてもらっていて経験にはなったのだけれど、最初の1年がすぎると、ルーティン作業になっていくし、自分の伸びしろというのも、やはり会社の中だと、どうしても会社が求めることをしなくてはいけないから、その中でそれ以上に自分のやりたい事がでてきてしまった。それで就職をして2年目の6月に独立をしました。 独立しようと思ったとき、覚悟は必要でしたか。
― 辞めることに関しては、特に覚悟はなかったです。自分が選択に迫られたときに、将来的に考えて、自分のとっては仕事を続けるよりも、辞めるというリスクのほうが低かったんです。
「そこでずっと働いて何年後には役員になれました。年収も何千万って稼げます」という圧倒的な将来のビジョンが見えている仕事だったので、これで自分は何が楽しいんだろうと思ってしまった。だからそれを続けるよりも、辞めて独立したほうが良いなと思いましたね。
自分の中で、失敗というのはあんまりなくて、自分が失敗を確認してそれを生かして次に行動できるとか、失敗をそのままその位置に置いておかなければ失敗だとは思ってないんです。 でも会社員になると、失敗して自分でどうこう活かせたからOKというのは難しくなるから、自分の人生、自分で舵をとったほうがリスクは低いなと思いました。 今経営している会社はどのようなものを目指しているのですか?
― 抽象的に言うと、「人々の幸せに寄与する」という事です。
幸せの象徴である、四葉のクローバーのマークをモチーフにしています。
ただ、人々に幸せを寄与するための手段は最初からは決めていませんでした。
だからジュエリー、アパレル、アプリ、ポータルサイトなど色々とやっていますが、それらに共通しているのは、僕がやったほうが良くて、僕にしかできなくて人々の幸せに寄与できるであろうと思うことです。
アプリを作る技術というのは、既に大学時代に取得されていたのですか?
―一応人並みにプログラミングはできたけれど、そのときは、当初4人で立ち上げて、エンジニアが1人いました。
なので、システム面ではそのエンジニアが監修、コンテンツ(サロン集め、撮影の日程決め、モデルのキャスティングなど)は自分という形でやっていったので、技術はその人に任せていました。
でも当初、2ヶ月で作る予定だったアプリが、5ヶ月かかってもできなくて、そのエンジニアがもうできないと言ってカンボジアに逃げてしまったんです。5ヶ月なにもできていない状態で、お金ばっかり使っていて、そのときはもう終わったと思いました。
でも55サロンも協力してもらっていて、サロンには、自分が「こういうことをやりたいんです」とお願いして、それを受け入れて協力してもらっていたわけだから、そういった方達を裏切るのはすごく嫌でした。
だから収益どうこうではなく、どうしてもアプリは出したかった。そしてその後は、自分がアプリの作成を引き継いだのですが、方法もも煩雑で分からない。でも急がなければならない、そして自分はできないと言えない立場。だからやるしかなかった。
だけどやってみたらできてしまったんです。本気をだしてしまえば。だから皆、本気をだせばできるはずです。
今まで会社をたちあげてから壁にぶつかったことは?
― 壁しかないです。もう今の仕事を始めて2年以上経ちますが、自分の仕事ってなんだろうって振り返ったときに、「問題解決係」だなと思いました(笑)何かやる度に、問題や足りないことが見えてくるし、優先順位が上のものからどんどんやっていかなければならないし、時間との勝負というか、本当に大変なことしかないです。
さっきも言った、アプリができないとなった時は、ちょうど自分がモデルとしてでていた雑誌が廃刊になる事が決まったり、個人的には彼女に振られたりだとか、すごく悪い事が積み重なって、本当に大変でした。
忙しいというのは自分の中では全く苦ではないのだけれど、自分がきちんとやらないとまわりに迷惑をかけてしまう立ち位置だったのでそこの部分をちゃんとやるっていうのは大変でした。そしてそれは今も同じです。
投げ出したくなるときはないのですか?
―ちょっと変な言い方になってしまうけれど、死ぬより辛い選択をとっているなって思時はたくさんあります。結局その選択をとりたいからとっているのだけれど、これは相当大変な道だなと自分で思ったりはします。
でも、ちょっと休憩したいなと思う時はあるけど、日々の事は別にやらされているわけじゃなくて自分でやりたいと思ってやっていることだから、やって当たり前の事だなと思ってやっています。
苦しいときに乗り越える秘訣や心がけていることはありますか?
―メンタル的に苦しいことというのも経験。さっき言ったアプリの出来事は、本当に自分でも思うくらい命をかけることができた事でした。
そのときは、仕事をやっている最中に過労で死んだとしても、自分は仕事を選んだからしょうがないと思えました。
テスト勉強とかでも、自分で全力だせたと言えるくらいの気持ちで毎回やるのって難しい。でもそれよりも難しい、「命をかける」ってところまでやれると、ある程度のことに関しては我慢できるようになります。
「やるしかないよね、じゃあやろうか」というような感じです。
そういうときは常に24時間仕事や、今やらなければいけないことについて考えているのですか?
―そうですね。
やらなければいけない事と、やりたい事は両方セット。両方がないと成り立たたないものです。だから苦には思わないです。
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プロフィール
(株)Quaf 代表取締役社長/高村健太 (25)
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1986年10月13日生まれ |
